誕 生

  • 2018.3.10 第159例会あがたの森サタデーコンサート あがたの森サタデーコンサート50回記念公募合唱団が起源
    松本駅から大通りをまっすぐ東に行った突き当たりに「あがたの森公園」があります。 ここは、旧制松本高等学校、後身の信州大学文理学部の跡地で、現在は松本市の都市公園として市民の憩いの場となっています。 この公園の一角にある旧制松本高等学校の当時のままの木造校舎(国重要文化財)を、松本市は「松本市あがたの森文化会館」として市民文化活動の場に解放しています。 1980年(昭和55年)、当時のあがたの文化会館長の発案で土曜の晩に開く「あがたの森サタデーコンサート」がスタートしました。  実行委員会形式で運営され「運営者も、出演者も、聴衆も市民。市民の市民による市民のための音楽会」で、すでに160回を数える名実ともに「松本の音楽会」です。(現在は新型コロナウィルス感染症の影響もあり中断しているのは残念ですが・・・。)  この「あがたの森サタデーコンサート」の50回記念に男声合唱のステージが企画され、合唱団員を公募して催されました。これが1990年12月15日。  これがきっかけとなり「せっかく集まったのにこのまま解散は忍びない。 歌い続けよう」ということで、翌年(1991年)夏、正式に“男声合唱団クー ル・ビア”としてスタートしました。  名前の由来は、ある夏の暑い日にふと団員の口を衝いて出た言葉が発端。 でも、少しオシャレにと フランス語で“CHOEUR(コーラス)”“BIERE(ビール)”に・・・。

    初めてのステージ、そしてその後

  • 団を正式に結成する前に「有志男声合唱団」の名前で長野県合唱祭に参加したのが最初のステージで、結成後は松本市芸術文化祭へ「クール・ビア」の名前で出演。これらが団にとって初めてのステージとなりました。  ただ、これら記念すべきステージの写真が残っていないのが残念です。 「楽しくやろう! ゆっくりやろう! でも高いところをめざそう!」と当初は月1回の練習でスタートしました。  練習ばかりではつまらないので発表の場を適宜設けることとし、1992.5.10 SBC信越放送主催の「第7回母の日に歌うコーラスの祭典」に「男声合唱団クール・ビア」の名前で出演。25団体が出演する華やかで楽しい音楽祭でした。これはその時の写真です。この後毎年参加し、ステージホストの岡本仁さんに「ヨ!ビール合唱団!」とかわいがっていただきました。この祭典が閉会となる2006年の21回まで参加しました。
    サタデイコンサート サタデイコンサート

    夏の終わりコンサート そして、もう一つ忘れられないのが北アルプスのふもと白馬村の合唱団“白馬CLS”が主催した「夏の終りコンサート」。我々は1993.8.29の第4回から参加しました。  この音楽祭は、国内外に有名な観光地白馬村で夏の間合宿をした大学などの合唱団や地元の合唱団が集まって、行く夏を惜しみ毎年8月の最終日曜日に催される音楽祭です。  民宿や旅館の女将さんたちでつくる合唱団“白馬CLS”の方々が、企画から設営、運営まで全て担う手作りの集いで、飾らない素朴なでも温かい音楽祭でした。2005年の16回まで参加しました。




    クール・ビアは一度だけ長野県を出たことがあります。  富山市から通うメンバーのご縁で、富山市の男声合唱団K&クルー第40回演奏会に賛助出演させていただきました。(2019.11.16)  会場の富山県民会館ホール一杯のお客様を前に、高田三郎の「水のいのち」と合同合唱で多田武彦の「富士山」を演奏し感激の一夜でした。  翌日は金沢まで足を延ばし兼六園などを散策。  初めての、楽しいそして充実した旅でした。
    富山
    金沢

    演奏会

  • クール・ビアはこれまで12回の演奏会を開催しています。 30年余で12回? 少なくない?  ここにも我々の「楽しもう! ゆっくりやろう! でも、高きを目指して!」の思いが詰まっています。 ステージ構成で特筆すべきは、必ず多田武彦氏の作品を取り上げたこと。そして踊りありパフォーマンスありの楽しいステージをお届けしてきました。 そしてこれからも続けて行きたいと思っています。 これまでのプログラムと写真をご覧ください。
  • 定期公演 定期公演

    定期公演 定期公演

    定期公演 定期公演

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